一家
今日は昔を思い出したので幼少期のことを書こう。
かなりプライベートだ。
私が幼少期のころ私の親は離婚した。
当時5歳だった私は父親と母親のギクシャクしたり雰囲気を感じ取り家庭崩壊という4文字にまだ幼いながらも怯えていたのを良く覚えている。
予想は的中し私の親は見事に別れた。
そう。あの時はまたいつものように父と母のケンカが一階で始まり、私は二階でいつものようにレゴブロックで遊んでいた。扉を閉めきって、想像力を働かせて遊べるレゴには感謝している。扉の外の恐怖から解放されるからだ。
でもその日は違った。
そう。一階に呼び出され、最終的にどちらの親と暮らしたいかを迫られた。
私はまだ幼かったが、こんな時子供はどちらの親を取るのかと客観視したが、結果母親と暮らす事になった。
離婚したあと母との暮らしが始まった。
離婚して家庭が明るくなると思えば、そんな事はなかった。
私の母はとても厳しく、叱り、暴力に近いほど難しい人物だ。
私は子供の頃母が大嫌いだった。
二人暮らしであったが、私は母と一緒にいたくないが為に部屋に閉じこもっていたし。母がいる時は、気付かれないようにトイレや冷蔵庫に行っていた。
そのくらい恐怖であったし、よく別れた父に私は事ある度に泣きついていた。
クリスマスプレゼントは私はちゃんとサンタクロースにお願い事をしていた男子だ。
もちろん母が買ってくれることは分かっていた。
ある日私はクリスマスプレゼントを頼んだ。
確か大きいプラモデルだった。
クリスマスの朝目覚めたら、枕元ではなく足に箱が置いてあった。
私はすぐにそれが、私の欲しいものではない事が箱を開けずに分かった。
安いものだったが小さい箱で2箱あった。
その時、母が1人で家計を支えていることの負担がわかった。
ただ私はその時に好きなものをくれないなんて、なんて酷い母親なんだっなんて不幸な家庭に生まれたんだと最低だが思ってしまった。
いま思えば期限付きの社員として、不安に駆られながらも必死に私の為に働いてくれた母の愛を感じるし、そんなことを思い、母を避けていた自分を思い出すと後悔している。
たぶん、両親に若い時に死なれてしまった母親は家族がいないし辛いことも相談出来なかったと思うし、息子の前では強くないといけないし苦しかったと思う。
子供のころピングーというクレイアニメを良く見ていた。ずっとあんな家族になれたらなって思っていた。
今でも思っている。
私の両親はお互いに絶望しあい恨み合い嫌いになり一緒にいることを諦めてしまったが、幸い私はこれが正しかったとは思っていない。
私も母と話すのをやめてしまった、これは間違っていた。
恋人同士にも言えることだが、人は不快にさせあう生き物だ。上手くいかなくて当然なんだから。
お互い言い争って、傷つけあって、絶望したりそれは仕方ないことだ。でもお互いに好きなのも確かだ。
だって間違いなく惹かれあって今こうやって口論をするんだから。
惹かれ合わなければケンカすることもなかったはずだ。
だから私は言いたい。
どんなに2人がお互いを嫌いになりかけても、絶対仲良くいられる方法はある。
これは、惚気かもしれないが、
私には今諦めたくない女性がいる。
一緒に乗り越えられる、2人なら必ず絶望してもまた最初の気持ちを取り戻せるそう信じている女性だ。
だから私は諦めることをやめたのだ。
分かち合えるものだけが人間の幸せなら、分かち合う相手を理解することは大切なことだ。
私は分かち合いたい相手のことをちゃんと理解できていなかった、だからまだ間に合うのならちゃんと向き合いたい。
恋人は1人じゃなれないし、家族も1人じゃなれない。
どんなことがあっても、なにがあってもずっと一緒これが本来の恋人同士と家族というものじゃないだろうか。